もしも自分の息子がいつか
散歩していたときのこと。道ばたで小学校低学年とおぼしき男子二人が自転車にまたがったまま互いに向き合い神妙な面持ちで「鈴木くん、好きだよ」「佐藤くん、好きだよ」(ともに仮名)と言っていた。
私は、ん? と思ったけど、通り過ぎざまふたたび「鈴木くん、好きだよ」「佐藤くん、好きだよ」と、やはり互いの目を見ながらはっきりと間違いなく同じ言葉を二人の男子は繰り返した。
私は三度のメシより女性の裸が大好きな立派な中年であるが、小学生の彼らが互いのことを「好きだ」という主張をとがめる理由があるはずもなく、もしかしたらこれは今どきのなにか変わった遊びなのかもしれないな、しかし彼らはどこまで進んでいるんだろうかと少し思った。老婆心ながら、もう少し大きくなって一度キミのちんちんを女の子のまんまんに突っ込んでからにしてみたらどうか? と教えてあげたくもなった。
もしも自分の息子がいつか……
一ヶ月ほど前、妻とちょうどそんな話をしたことがあった。もしも自分の息子がいつか「実は女より男が好きなのだ。いや、むしろ俺は男ではなく、女なのだ」というようなことを言い出したら……
私は「それはショックだ」と言った。妻は尊重してあげたいというようなことを言った。反論しようと思ったけど「そういうもんかね」とものわかりのいいふりをしてなんとなくその話は終わりにした。
さっきの男の子二人に、もし本当にそういう恋愛感情があるのだとすれば、三十七年も生きてきてまだ自分が体験したことのない世界を彼らは知っている(知ろうとしている)のかもしれないのだな。そう考えると、それはそれでちょっといいのだな、と思った。
息子が生まれて二ヶ月が過ぎた。今まで想像すらしたことのなかったさまざまなことを考えるようになった。自分と血のつながった子供でありながら、自分とは違うひとりの人間でもあり、考えなくてはならないこと、考えてもどうにもならないこと、その線引きをどこに置くのかをまた考えたりもする。
今夜は息子と一緒に風呂に入っていつもより念入りにちんちんを洗ってあげよう。それから、一緒に湯船に浸かるときにソープコントの導入部よろしく「湯加減どうですか、お客さん」と思わず口走ってしまうクセをそろそろやめにしたい。